アンナ・クレシェンコさん ―「まずはやってみる」自分に合った生き方の見つけ方 【インタビュー】
本ページに掲載している内容は、2026年3月27日時点の情報です。
東京都は、令和7年度、新たな価値や課題解決を創造し、日本や世界の成長・発展を牽引していく人材を輩出することを目的に、第一線で活躍するグローバルリーダーへのインタビューを中心とした調査を実施しました。 本記事では、調査報告書の中からアンナ・クレシェンコさんへのインタビュー内容をご紹介します。
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Flora株式会社 共同創業者 CEO アンナ・クレシェンコ
ウクライナ出身。京都大学在学中にフェムテック企業Floraを共同創業。女性の健康課題をデータで解決する「Fem Tech Big Data」を構築し、アプリ・e-Learning・健康経営支援サービス・コミュニティを総括したサービスを運用。2024年フォーブス誌アジア版で「世界を変える30歳未満30人」に選出。
大阪大学日本語日本文化教育センター入学
データを通じて女性をエンパワーメント。
女性の健康課題をテクノロジーの力で解決する。
― 現在の活動内容について教えてください。
京都大学在学中の2020年に、女性の健康課題を解決したいと思い、フェムテック企業「Flora」を立ち上げました。フェムテックとは、女性(Female)とテクノロジー(Technology)を掛け合わせた言葉で、テクノロジーの力で女性特有の課題に向き合う取組です。
Floraでは、更年期や不妊、妊活といったテーマに対し、AIとビッグデータを活用した新しいサポートを展開しています。個人向けアプリは20万ダウンロードを突破し、法人向けサービスも100社以上に導入されました。
そして、日本発のグローバル企業を目指し、ベトナムやインドへも事業を展開しています。誰でも活躍でき、働きやすい社会を実現するために挑戦を続けています。
― 幼少期はどのような子供でしたか?ご両親からはどのようなサポートがありましたか?
両親からは幼い頃から「他の子はこうでも、あなたは自分のやりたいことをやっていい」と言い聞かされて育ちました。学校で問題があった時も、「もしかすると先生側に課題があるのかもしれない」と、母は私の気持ちに寄り添ってくれました。一方で、「なにかを始めたら最後までやり抜く」「途中でやめるのは恥ずかしい」とも教えられ、物事をやり切る姿勢はそこから身に付きました。
学業は優秀でしたが、初めから全科目できてしまうというタイプではなく、科目によっては、一生懸命教科書を読んで試験に備えることもありました。また学校外では、空手道場や音楽学校などにも通っていたのですが、両立できるようかなり努力していたと思います。学校の先生から「アンナも学校と他の活動を両立しているのだから、みんなも言い訳しないように」と言ってもらえていました。
空手との出会いが挑戦の原点。
オリンピック出場の夢を胸に、日本へ留学。
― 空手との出会いについて教えてください。
5歳の頃、弟と一緒に空手道場に通い始めました。最初は親に連れられて行く感覚でしたが、通ううちに少しずつ楽しくなっていきました。
空手には黄色帯、緑帯、茶帯と段階的な目標があり、一つ上の帯を取るたびに「成長できた」と実感できました。先生からの「もっとこうしてみよう」というアドバイスや、仲間の「頑張れ!」という声が励みになり、次第に「これは自分に向いているかもしれない」と感じるようになりました。中高生ぐらいになると「この大会に出たい」と自分から言えるようになり、先生や家族が力強く背中を押してくれました。最初は市の大会から始まり、県大会、全国大会と少しずつ挑戦の場を広げていきました。勝ったとしても負けたとしても、努力を重ねていく過程が一番好きでした。
― 日本への留学のきっかけは何ですか?
もともと「海外で学びたい」という思いがあり、ウクライナの高校を卒業してから、海外留学を目指しました。またちょうどその時、東京オリンピックで空手が正式種目として決まり、「日本の道場で練習すれば、自分にも出場のチャンスがあるかもしれない」と思い始めました。
こうした中、同じ大学の先輩が国費留学生として日本に留学していることを知り、Facebookで「どんなプログラムなのか教えてください」とメッセージを送りました。先輩はとても丁寧にアドバイスをくれて、それがきっかけで自分も応募を決意しました。合格の知らせが届いたのは出発の数か月前だったので、準備に追われ不安を感じる暇もありませんでした。
ウクライナの空手連盟を通じて日本の道場を紹介してもらっていましたが、初めて門をくぐる日は本当に緊張しました。1時間ほど外で立ち尽くし、「このまま帰ってしまおうか」と思ったほどです。しかし思い切って中に入ってみると、先生方や仲間たちが温かく迎えてくれました。
言葉が届かない世界で、
自分自身と向き合うことになった。
― 日本に来てから、言葉や文化の違いに戸惑うことはありましたか?
戸惑いはありました。私はもともと文系の勉強が得意で、ウクライナでは言語や表現する力が自分のアイデンティティの一つでした。でも日本に来てからは、コーヒーひとつ注文するのにも苦労して、伝えたいことの100分の1も伝えられませんでした。その時に、「自分は何者なんだろう」と考えてしまいました。
日本語を学んで1年以上が経っても、「読める」「書ける」「聞ける」ようにはなったのに、いざ話そうとすると言葉が出てこない。頭では理解しているのに、思っていることをうまく表現できないもどかしさがありました。
― 日本の大学や学生について、ウクライナとの違いや印象に残った点はありますか?
大学の在り方に文化的な違いを感じました。ウクライナでは特に文系の場合、講義は最初の2か月ほどで、その後はセミナー形式が中心になります。発言しなければ成績がつかず、1年目から自分の意見を述べる訓練が求められます。先生と意見が異なっても、議論を通じて理解を深める姿勢が重視されていました。
一方で、日本の大学ではゼミが少なく、講義中心の授業が多い印象です。京大でもゼミは1科目のみで、先生が一方的に話す授業が続き、「これは教科書で読めば済むのでは」と感じたこともありました。教育スタイルの違いは、最も大きなギャップの一つです。
また、日本では学生同士の交流が授業外で行われることが多く、部活動を通じて友人関係が築かれる傾向があります。授業では出席するだけで、ほとんど交流がないことに驚きました。
それと、日本では大学入学が一つのゴールとされる傾向があるように感じます。海外では卒業までの過程が重視され、GPAや課外活動の実績が就職時に評価されるため、学生は学業に真剣に取り組みます。こうした点にも、教育観の違いを強く感じました。
目標を失っても動き続けた先に、
価値観を揺さぶる出会いがあった。
― 挫折や困難をどのように乗り越えていったのでしょうか?
ヨーロッパ大会で敗れて、オリンピック出場の道が閉ざされたことで空手を引退しました。ずっと目標にしていたものを失い、しばらくは何をすればいいのか分からず、本当に辛い時期でした。
立ち止まっていても何も変わらないと思い、とにかく動くようにしました。寝る時間以外は、毎日何かに挑戦していました。京都大学で公共政策を学びながら、デザインコンテストに応募したり、アプリのアイデアを考えてプレゼン資料を作ったり、ビジネスコンテストに出たりしました。
最後のヨーロッパ大会
― シリコンバレーでの経験が転機になったと伺いましたが、具体的にどのような出来事や出会いが印象に残っていますか?
学内のビジネスコンテストをきっかけに、シリコンバレーでの短期留学プログラムへの参加機会を得ました。現地では、起業家やベンチャーキャピタルの方々と直接話す機会があり、そのエネルギーや発想の豊かさに圧倒されました。これまで出会ったどんな人たちよりもおもしろく、「こんな人たちと一緒に何かをしてみたい」と心から思いました。
特に印象に残っているのは、Googleのエンジニアの方の言葉です。「会社が大きすぎて、自分の存在が小さい。もっと自分が影響を与えられる仕事をしたい」と話していて、衝撃を受けました。世界的な大企業に勤めることが成功だと思っていた私にとって、その考え方は全く新しいものでした。
起業のきっかけとなったのでは、身近な人への共感。
一歩ずつ課題に向き合う中で、進むべき道が見えてきた。
― 起業のきっかけについて教えてください。
身近な人の体験が、起業を意識するきっかけでした。母が長年不妊治療を続けていたことや、友人がストレスで生理が止まってしまったこと、そして自分自身も体調の変化に悩んだ経験がありました。そうした身近な出来事を通して、「自分にも何かできるのではないか」と思うようになりました。
最初から「社会を変えたい」とか「すべての人を救いたい」という大きな目標があったわけではありません。目の前の課題を一つずつ解決しようと取り組んでいくうちに、少しずつ方向性が見えてきました。実際に活動を進める中で、市場の現実や組織としての課題にも直面し、試行錯誤を重ねながら改善を続けてきました。「やりながら気づいたことが多い」と感じています。
― 起業後大変だったこと、乗り越えたことは?
最初に作ったアプリは全く伸びませんでした。当時は「素晴らしいアプリだから1週間で100万ダウンロードされて有名起業家になれる」と本気で思っていましたが、現実は全く違いました。今振り返ると、とても恥ずかしいです。そこから、なぜうまくいかないのかを徹底的に考えました。
ユーザーの声を直接聞こうと決め、100人以上の女性にオンラインでインタビューをしました。日本語も完璧ではなく、人見知りな性格だったので、最初はとても緊張しました。しかも、扱っていたのはプライベートでデリケートなテーマだったので、どう聞けば相手が安心して話してくれるかを試行錯誤しました。それでも諦めずに話を聞き続けるうちに、ユーザーが本当に求めているものと、自分たちが想定していたものが全く違うことに気づきました。その気づきが、サービスの方向転換やビジネスモデルの改善につながりました。
若者には体験機会と
気軽に海外にチャレンジできる環境を。
― グローバルリーダーに必要な能力・スキルは何だとお考えですか?
まず大切なのは、さまざまなバックグラウンドを持つ人の心理や価値観を理解し、関係を築いていく力だと思います。違う文化や立場にある人と協力しながら仕事ができるかどうかは、グローバルで活躍する上で欠かせないと思います。加えて、世界でどんなことがトレンドになっているのか、他の企業がどんなプロダクトを作っているのか、どんなスキルが評価されているのかを常に学び続ける姿勢も必要です。例えばカリフォルニアのベンチャー企業がどんな基準で人材を採用しているのかなどですね。
最後に欠かせないのはやはり、「好奇心」です。私自身「なぜグローバルで活躍したいのか」を振り返ると、「面白いから」「もっと知りたいから」という純粋な探究心が原動力になっています。
― 若者に対し、どのようなサポートが必要と考えますか?
まずは体験の機会があると良いと思います。アプリ開発やものづくりの現場を見学したり、経営者や技術者がどのように働いているのかを学べるような取組です。理論や勉強だけでなく、実際に体験することで世の中の仕組みを知ることが、とても大切だと感じています。
また、心理的なハードルをもっと下げて、勉強以外の目的でも海外に行けるような機会があるとよいと思います。日本には「優秀な人しか留学できない」「海外体験は特別な人のもの」という先入観がどこかあるように感じます。ウクライナではスポーツや音楽、課外活動を通じて海外に行くことは普通のことだったので、日本でも同じように若者が自然に海外に挑戦できる環境が広がるといいなと思いますね。
日本の若者は十分に頼もしい。
自分らしさを大切に、世界に飛び出してほしい。
― 若者へのメッセージをお願いします。
日本の若者はとても頼もしいと感じています。弊社でも20代の社員が熱意を持って行動し、経験豊富な人に勝る成果を生み出しています。
また、世の中は本当に広く、選択肢もたくさんあります。やってみないと分からないことも多いので、何かにこだわる前にいろんな活動やスポーツ、勉強を試してみて、後で判断してもいいと思います。とにかくやってみること、体験してみることが、自分に合った生き方や働き方を見つける上で大切だと思います。
自分の興味や「やってみたい」という気持ちを信じて、失敗を恐れずに挑戦してほしいです。自分らしさを大切にしながら、ぜひ世界に飛び出していってください。
創業当時のアンナさんと共同創業者のイワン・セレズノフさん