世界で活躍する林克彦さん―「若いうちに世界のトップレベルの環境に身をおいてほしい」 【インタビュー】
本ページに掲載している内容は、2026年3月27日時点の情報です。
東京都は、令和7年度、新たな価値や課題解決を創造し、日本や世界の成長・発展を牽引していく人材を輩出することを目的に、第一線で活躍するグローバルリーダーへのインタビューを中心とした調査を実施しました。 本記事では、調査報告書の中から林克彦さんへのインタビュー内容をご紹介します。
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大阪大学大学院医学系研究科教授 林 克彦
次世代に遺伝子情報を伝える生殖細胞が作られる仕組みについて研究。2023年、雄マウス由来のiPS細胞から卵子を作り、雄の細胞だけで子供を誕生させることに成功。2023年ネイチャー誌の「今年の10人」、2024年タイム誌の「世界で最も影響力のある100人」に選出。
明治大学農学部農学科入学
東京理科大学生命科学研究所 助手
「死なない細胞」の仕組みを解き明かすことは、
命の連続性と人類の未来を読み解く鍵である。
―現在どのような研究をされているのか教えてください。
新しい生命が誕生する過程を研究しています。生殖細胞である精子と卵子が受精することで、新しい生命が誕生する契機となりますが、この生殖細胞には、他の細胞と明らかに異なる特徴があります。それは、「死なない細胞」であるということです。生殖細胞は子供となって、その子供が大人になり、さらに次の世代を生み出すことで、世代を超えて連続的につながっている細胞なのです。私は、この「死なない細胞」がどのようにできあがっていくか、その仕組みを明らかにする研究に取り組んでいます。
― その研究成果は、私たちの日常生活にどのような影響を与える可能性がありますか?
生殖細胞は、複雑な過程を経てようやく機能を発揮します。その過程のどこかに異常があれば、細胞は次の段階へ進めなくなってしまいます。そこで私たちは、まずこの複雑な過程を理解することから始めます。仕組みを理解することで、異常の有無や原因が見極められるようになるのです。
生殖細胞の異常は、不妊の原因にも直結します。子供を授かれない方に対して、原因を明らかにし、適切な処置を行うことで解決を目指すというのが、私たちの研究の出口です。
さらに生殖細胞は、「死なない細胞」であるため、さまざまな情報が刻まれています。生殖細胞で起こっていること、特にゲノムDNAがどのような制御を受け、変化し、形成されていくかを調べることで、その種がどこに向かっているかも解るようになると考えています。例えば、人間がどのように進化してきて、これからどのように変化するのかも見えてくるのです。
自分を見失ってしまった大学時代。
「自主自立」の精神で自ら道を切り拓いた。
― どのような家庭で育ちましたか?
幼い頃は金沢の豊かな自然に囲まれて育ち、野原を駆け回り、自由で伸びやかな時間を過ごしました。親は基本的に放任主義で、やりたいことを自由にさせてもらうことができました。
高校に進学すると、「自主自立」の校風で、校則はほとんどなく、自分を律し行動することが求められました。私が所属していた水泳部でも、練習メニューを自分たちで作る仕組みがありました。楽をしようと思えばできましたが、大会で良い成績を目指し、厳しい練習に取り組みました。
― 現在の研究分野に興味を持ったきっかけを教えてください。
中学生の時、テレビのニュースで「クローン動物」が誕生したことを知りました。その時、生命の神秘を感じ、人が生命に介入する学術分野があるという事実に大きな衝撃を受けました。いわゆる「バイオテクノロジー」と呼ばれる分野です。それ以来、バイオテクノロジーや動物に関わる仕事をしたいと強く思うようになりました。
大学には、「興味のある専門分野を学ぶことができる」と希望に満ちて入学しました。しかし、1年生の間は教養科目ばかりで、思い描いていた専門的な学びには触れられず、「いつになったら学びたいことが学べるのだろう」と迷い、自分を見失ってしまいました。アルバイトをしながら過ごす日々が続く中、当時は「牧場を営みながら、バイオテクノロジーにも関わりたい」という青写真を描いていました。
そこで、「自分で何とかするしかない」と思い、高校時代に培った「自主自立」の精神で行動しました。大学では得られない専門的な経験を積もうと、牧場で1か月間住み込みで働くことを決意したのです。実際に働いてみると、生活は一変し、牧場の仕事は体力的にも経営的にも非常に厳しいことを痛感しました。牧場と研究の両立は現実的ではないと悟り、まずは研究に専念することを決心し、大学での実験や研究に全力で取り組むようになりました。
大学の助手になれても、完全に実力不足。
乗り越えるために、できる限りの努力を覚悟した。
― 研究の中での挫折や逆境経験はありましたか?
24歳で大学の助手になった頃、仕事がうまくいきませんでした。
私は、農学部や修士課程で培った受精卵を扱う特殊な技術が、理科大の研究室のニーズに合致し、若くして助手になることができました。しかし、同年代の学生や、分野によっては自分より知識のある人に指導しなければならず、完全に実力不足であることを痛感する日々でした。さらに、私には免疫研究に必要な遺伝子を改変した動物を作り、研究室に供給するという役割がありましたが、2年かけても成果を出すことができませんでした。
周囲の先生方からも半ば距離を置かれるような状況の中、一人の先生が遺伝子を改変した動物の作製を外注していることを知りました。私が、「なぜ外注しているのですか」と尋ねると、「君に頼んでも、いつできるか分からないから」と、はっきり言われました。その言葉が、胸に深く突き刺さり、「自分がこれまでやってきたことは、自己満足にすぎず、人に求められる成果を出せていなかったのだ」と解りました。その一言で、涙がこぼれたことを今でも覚えています。
― それをどう乗り越えられたのかお聞かせください。
これまでも精一杯努力してきたつもりでしたが、人の期待に応えるためには足りていませんでした。そこで、これまでの努力の上限を超え、自分の枠を広げるくらい一生懸命に取り組まなければならないと考えました。できる限りの努力を重ね、寝る間も惜しんで働きました。
大切なのは、コントロールできないことよりも、
自分にできることを一生懸命やること。
― なぜそこまで努力することができたのですか?
必死に努力を続けられた理由の一つは、「やめてしまえば、これまでの努力がすべて無駄になってしまう」と思ったからです。もう一つは、当時一緒に研究していた先生方の励ましの存在でした。支えてくださった方々への恩を返したいという気持ちが、私を突き動かしていたのだと思います。
加えて、落ち込んでいるときに深く考えても、良い結果は生まれません。私が心がけていたのは、まずおいしいものを食べて、しっかり眠ること。そして気持ちが少し晴れたところで、現状を「コントロールできること」と「できないこと」に分けて整理することです。
なぜなら、コントロールできないことに労力を費やしても、望む結果は得られないからです。私の場合、人々の「この人に頼んでも仕方がない」という評価について悩むことはしませんでした。当時の私にできたのは、研究の技術を磨くことだけです。だからこそ、研究と技術の向上に集中し、問題を一つひとつ地道に解決することで、信頼を得ようと努力しました。
もし、同じように落ち込んでいる方がいるなら、「コントロールできることに集中してほしい」と伝えたいです。
研究者として大切にしていることは「オリジナリティ」。
自分の強みを理解することが大切。
― 研究者として、最も大切にされている価値観について教えてください。
私が大学生の頃に所属していた研究室は、資金が乏しく、研究を深めるのも容易ではありませんでした。そうした環境で、当時の恩師から叩き込まれたのは、「研究で一番大事なのはオリジナリティである」ということでした。恩師は、日頃から「恵まれない研究室にいても、オリジナリティさえあれば何とかなる。だから絶対に人の真似をするな」と語ってくれました。
今振り返ると、本当にその通りだと思います。研究は基本的に「アイデア・人・お金」の三つが揃って成り立ちますが、この中で無限に生み出せるのは、アイデアだけです。アイデア、そしてオリジナリティさえあれば、研究というものは進んでいく。この教えは、今でも私の心に刻まれています。
― ご自身のオリジナリティは何ですか?
研究のアイデアだけでなく、自身の強みのようなところにも、自身のオリジナリティがあると思っています。私は実験で手を動かすことが好きで、他の人が疲れてしまうような場面でも、ひたすらやり続けることができました。大学時代に「将来は研究をしたい」と恩師に伝えた時に、「好きこそ物の上手なれって言うからね」と言われ、「自分は人からその様に見られているのか」と気づき、自分の強みを理解することの大切さを学びました。
これまで、研究者として本当に必死にやってきました。私の学歴は、言葉を選ばなければ、学術界では誇れるようなものではありません。学術の世界では、どうしても学閥やコネクションが重視される場面がありますが、私にはそうしたものがありませんでした。しかし過去は変えられないので、目を向けるのはやめました。そうなると、自分で変えられるのは業績だけです。「とにかく結果を出し続けよう」、「業績を出し続けないと自分は死ぬ」と思いながら取り組んできました。本当に必死でした。
若者には、「こんなやつでも研究者になれる」というところをぜひ見てほしいと思っています。
身近なロールモデルや実体験によって
心理的ハードルが取り除かれ、世界との距離が縮まった。
― ケンブリッジ大学へ留学されていますが、海外への関心はどこから芽生えましたか?
海外を意識するようになったのは、24歳の頃です。当時の研究室では、先生方がさまざまな留学先から帰国する時期で、昼食の会話でも「海外ではこうだった」という話題が頻繁に出ていました。それまで、自分が海外で行くようなことは想像もしていませんでした。ですが、先生方の話を聞くうちに「そういう世界もあるのだ」と感じ、海外への扉が開かれたような気がしました。そして、いつか挑戦してみたいと思うようになったのです。身近にこうしたロールモデルがいたことは、私にとって非常に幸運でした。
― 若者の積極的に世界と関わる姿勢を育むにはどうすればよいとお考えですか?
時には、周囲の大人が本人を思い切って国際的な環境に放り込むことも必要だと思います。
例えば、私自身の経験では、研究室のメンバーを海外に連れて行き、あえて放任することで、彼らは自然と自らコミュニケーションを取るようになります。海外の研究者と実際に会話することで、心理的なハードルが徐々に下がっていくのです。海外に対する尻込みの理由の多くは、こうした「心理的な見えない壁」にあると感じています。その壁が強制的にでも取り払われれば、意外と自然に会話が始まるものです。
それと、若いうちから同世代の海外の人たちと交流する機会を多く持つことが望ましいと考えています。例えば、共通の問題意識を持ち、何かを一緒に作り上げるような共同作業の場を提供すれば、必然的にコミュニケーションが生まれ、意見を交わすことにもつながります。その中で、相手との共通点を見いだすことができれば、多くの壁が自然と取り払われていくのではないでしょうか。
世界のトップレベルに触れることで、挑戦心が生み出される。
困難に直面したときにこそ、自らの思考力と粘り強さが必要。
― 若者に対し、どのようなサポートが必要と考えますか?
まず、「人と交流すること」が重要だと考えています。家や学校のように、簡単には離れられない環境だけでなく、本人が自由に参加できる多様な交流の受け皿が社会の中にあることが望ましいと思います。そうした場があることで、自分の居場所を見つけたり、新たな価値観に触れたりする機会が生まれます。
それと、若いうちに世界のトップレベルの人々が集まる環境に身を置き、そのレベルの高さを肌で感じることは、とても意義深い体験です。そうした場に立ち会うことで、自分の成長意欲が刺激されるだけでなく、「トップレベルの人たちも案外普通なんだ」と気づく瞬間が訪れます。この気づきは、若者にとって大きな意味を持ち、自分も挑戦してみようという前向きな意識につながっていくのではないでしょうか。
― グローバルリーダーに必要な能力・スキルは何だとお考えですか?
「自分で考える力」はとても重要だと考えています。最初はどんなアイデアでも構いません。大切なのは、自ら思考し、それを実際に行動へと移すことです。特に研究者やリーダーの立場にある人は、誰も踏み入れたことのない道を進むことになります。その道が本当に正しいかどうかも分からない中で、進む方向を決めるのはすべて自分自身です。誰かが教えてくれるわけではありません。だからこそ、自分で考え、自分を律して進む姿勢が必要なのです。
それと、「粘り強さ」も欠かせない要素です。壁にぶつかったときこそ、工夫が求められます。無駄な部分やネガティブな要素をそぎ落としてみる、一本道ではなく回り道をしてみる、あるいは違う視点から見てみる。そうした柔軟な対応を重ねることで、結果的に粘り強さが育まれていくのではないかと思います。困難に直面したときにこそ、自分の思考力と粘り強さが試されるのです。
理系の力は、国を支え、未知を切り拓き、未来を創る。
「かっこいい理系像」が、次の創造者を育てる。
― 若い人たちに向けて、理系の魅力を教えてください。
理系人材は非常に大切です。人間社会はテクノロジーによって支えられており、身の回りを見渡せば、理系の人々が生み出した成果で溢れています。こうした成果は、単に生活を便利にするだけでなく、国力にも直結しています。知識や技術といった「何もないところから生み出せる力」を持つ国は、強いと言えるでしょう。そして、その「生み出すこと」を主に担っているのが理系の人材なので、資源に乏しい日本にとっては、こうした人材の存在がとりわけ重要なのです。
理系の良さは、「正しいものが正義である」という点にあります。そこに不当な評価基準は存在しません。ニコラ・テスラがエジソンとの対立を経て交流電流を普及させたように、科学や技術において正しいものや優れているものは最終的に必ず残っていきます。そういう意味で、科学者や技術者といった理系の人々は、とてもフェアな存在だと思います。
― 日本で理系を目指す若者が少ない理由は何だと思いますか?
理系人材に憧れる機会が少ないことが、理系進路の選択が限られてしまう一因だと感じています。小学生の頃は、白衣を着て試験管を振る姿に「かっこいい」と憧れることもありますが、中高生になると、「自分もああなりたい」と思える理系の人物像が身近に存在しないのが現状です。かつては、ビル・ゲイツやソニーの盛田昭夫さんのような象徴的な存在がいましたが、今はそうした理系のロールモデルが見えにくくなっています。だからこそ、理系の道を自覚するためには、「かっこいい理系像」を示すことが重要だと思っています。
また、理系に必要な探究心を育てるには、本人が自ら疑問を持つことが不可欠です。学校教育では「出された問題を速く正確に解く力」が重視されがちですが、それはサイエンス本来の面白さー「誰も知らないことに挑戦すること」とは異なります。大切なのは「良い疑問を持つこと」ーその問いが未知への扉を開く第一歩になるのです。
自ら考えて、決めて、行動して、
「誰も見たことのない風景」を見てほしい。
― 日本の若者が、世界に羽ばたき活躍していくに当たり、何が課題であると考えますか?
失敗を恐れずに、何事も自分で挑戦してみようという姿勢が、やや希薄に感じられることがあります。その背景には、これまで多くを与えられてきた環境があるのかもしれません。自分の子供たちをみても、日常的にやるべきことがあるので、自分で探そうという姿勢はあまりないように感じます。
加えて、もっと自信を持ってほしいと思っています。自分で見つけたことが本当に良いのかと考えたときに、自信を持てず、与えられている方にすがってしまう印象があります。自信がなくても「それをやるべきだ」と思ったらやる。その姿勢はとても大事なことです。
研究室の学生には、「君たちは誰も到達したことがないところに行こうとしている。待っているだけでは降ってこないので、とにかく自分で取りに行ってください。」とよく言っています。
― 若者へのメッセージをお願いします。
若者の皆さんには、これから先も長い時間があって、我々が見られない風景を見られるということが、羨ましいと思っています。自分が見たい風景を見るためには、日々の努力もそうですが、自分で目的意識を持って、「こういう自分でいたい」とか「こういう風になりたい」という気持ちが大事です。
皆さんの中には、誰も行ったことがないような道に進む人もいるかもしれません。学校の教育というのは、与えられた問題を解くということが重視されますが、社会では自分で課題を見つけ、良い問題を立てて進んでいくことが大切です。自ら考えて、自ら決めて、自ら行動して、誰も見たことのない風景を見ていただきたいと思います。