山口絵理子さんから若者へ ―結果が伴わなくても「行動した自分を褒めてほしい」【インタビュー】
本ページに掲載している内容は、2026年3月27日時点の情報です。
東京都は、令和7年度、新たな価値や課題解決を創造し、日本や世界の成長・発展を牽引していく人材を輩出することを目的に、第一線で活躍するグローバルリーダーへのインタビューを中心とした調査を実施しました。 本記事では、調査報告書の中から山口絵理子さんへのインタビュー内容をご紹介します。
株式会社マザーハウス 創業者 代表取締役兼チーフデザイナー
山口 絵理子
「途上国から世界に通用するブランドをつくる」という理念のもと、2006年に株式会社マザーハウスを創業。バングラデシュをはじめとする途上国6か国で生産したバッグやジュエリー、衣料などを販売。高品質なものづくりを通じて、途上国の持つ可能性に光を当て続ける。2012年、内閣府から「世界で活躍し『日本』を発信する日本人」の一人に選出。
慶應義塾大学総合政策学部入学
BRAC大学院修士課程入学
株式会社マザーハウス 創業 代表取締役兼チーフデザイナー
「途上国から世界に通用するブランドをつくる」ことで、
できないというレッテルを超え、途上国の可能性を形にする。
― マザーハウスの事業内容について教えてください。
マザーハウスは途上国に自社工場と提携工房を持ち、現地の素材と職人の技術を活かして製品をデザイン・製造し、先進国で販売するビジネスを展開しています。現在、バングラデシュをはじめとするアジア6か国で生産し、日本を含む3か国で販売しています。2025年7月にはアメリカ進出の一歩として、アメリカでのECサイトをオープンしました。
製品開発では、まず私が現地に赴き、職人の方々と共にプロトタイプを作ります。バッグなら紙の模型、ジュエリーなら蝋状のワックスを削って形を作るところから始めます。最終製品に仕上げるには、現場の技術とクラフトマンシップが不可欠であるため、プロトタイプを通じて「この方向性でいきたい」というコンセプトを提示し、それをもとに現場で技術的な議論をしていきます。これが、私たちのものづくりの核です。
従来のブランドはトップデザイナーに依存する傾向がありますが、私は日本の良さでもある「チームで作る」スタイルを重視しています。デザイナー、クラフトマン、品質管理者が一体となり、「ベスト・オブ・カントリー」を目指して製品を生み出す。それが創業以来の姿勢です。
― マザーハウスを起業したきっかけについて教えてください。
起業のきっかけは、バングラデシュの大学院に留学した際に、現地の工場で、特産品とされるジュート(黄麻)がわずか75セントの麻袋として加工されている現状を目の当たりにしたことです。2万人が働くその工場では、ストライキや給与の滞納、児童労働などの問題があり、国の特産品を作っているにも関わらず、工場はみんなが逃げたい場所でした。もっと付加価値があるものを作っていくべきではないかと、その時強く思いました。
「途上国では安いものしか作れない」というレッテルが、可能性を閉ざしているように感じました。だからこそ、ジュートでファッションバッグを作るという挑戦を通じて、レッテルの外に出てみたかったのです。職人の手の価値が1セントではなく100ドルになるような、そんな可能性を形にしたかった。まず「物」に挑み、そこに「人」のポテンシャルが宿る状態をつくりたかったのです。
自ら選んだ道を信じて挑戦し続ける。
周囲が「No」と言ったことが引っ繰り返る瞬間が好き。
― どのような子供時代を過ごしましたか?
小学生の頃、いじめを受けたことで数年間、学校に通えない時期がありました。少しずつ登校できるようになり、教室で過ごす時間も徐々に増えていく中で、「少しずつでも努力を重ねれば、必ず思い描いたことは実現できる」と信じるようになりました。
当時、絵を描くことが私の心の支えでした。外の世界では不自由でも、キャンバスの上では自由でいられるーその感覚が私を救ってくれたのです。絵は私の軸であり、今でも職人の手仕事に深い敬意を抱いているのは、その延長にあるのかもしれません。
中学生の頃は柔道に打ち込み、日本一を目指して懸命に練習しましたが、全国大会では敗れ、悔しさを味わいました。「男子と練習した方が強くなれる」と考え、男子柔道部しかない工業高校への進学を決めました。
中学から高校にかけては柔道一筋の生活でした。振り返ると、一つのことに集中し、365日同じことを繰り返す経験は、現在の仕事にも通じています。ものづくりもまた、同じことの繰り返しにより、技術が進歩していく世界です。柔道と仕事は、私の中で確かにつながっていると感じています。
― 他の人と異なる進路選択に、不安を感じることはなかったですか?
高校への進学は、自分で考えて選んだ道でした。当時は、「この選択を試してみて、もし失敗しても、それは自分の責任でいい」と思っていたのを覚えています。
振り返ると、私は仕事においても、周囲が「無理だ」と言ったことが引っ繰り返る瞬間に魅力を感じるタイプなのだと思います。既存の枠組みの中でうまくやることよりも、前例のないことや新しい挑戦に心が惹かれます。また道を切り拓き、新しい選択肢が増えることで社会が豊かになるとも思っています。
「ものを作るのが好き」というのは、両親から学んだ。
大学で仲間と出会い、学ぶことの面白さに初めて気づいた。
― ご家族はどのような方でしたか?
父は厳格ながら放任主義で、私の選択に干渉することはありませんでした。母は柔道の試合に毎回付き添い、怪我をした時も献身的に支えてくれました。性格は対照的でしたが、私の意見を尊重してくれる両親でした。
私の家族は、「ものを作ること」に敬意を持っていました。父は不動産業を営んでいましたが、バブル崩壊後も絵や陶芸のコレクションを手放さず、創作への情熱を持ち続けていました。母もまた、私の創作への関心を温かく見守り、「絵を描いたり、ものを作ったりするのが好きなのは素晴らしい特技だよ」と励ましてくれました。「ものを作るのが好き」という感覚は、両親から自然に受け継いだものだと思っています。
― 大学に入学してからはいかがでしたか?
工業高校から大学へ進学した時、まるで別世界に来たような刺激を受けました。周囲には帰国子女が多く、英語が飛び交い、イベント企画やITベンチャーの立上げに取り組む学生もいて、自分は柔道しか知らないと痛感しました。危機感から必死に勉強し、アルバイト代を貯めてカナダに留学しましたが、無理をしすぎて体調を崩したこともあります。
こうした中、経済学の授業で竹中平蔵先生の経済発展理論に出会い、「開発」や「途上国」という言葉を初めて知りました。教育を受けられない子供たちの現実に触れた時、自分の過去と重なるものを感じ、「これは何だろう?」と心が動いたのです。当初は日本のことしか考えていませんでしたが、次第に国外にも目を向けるようになりました。
その後、竹中先生のゼミに所属し、途上国の労働市場や教育市場について本格的に学びました。ちなみに、副社長の山崎とは竹中先生のゼミで出会いました。
国際機関で感じた違和感。
現場に身を置き、実態を知るため、バングラデシュへ。
― ご自身の人生の転機となった出来事は何ですか?
大学での学びや、開発コンサルティング会社でのアルバイトを通じて、「開発関連の仕事をするなら世界銀行や国連などの国際機関だ」と感じるようになり、漠然と国際協力に携わりたいという思いが芽生えました。大学4年生の時には周囲に合わせて日本企業への就職活動を行いましたが、思うような結果が得られず、偶然募集のあった米州開発銀行(ワシントンD.C.)のインターンシップに応募したところ、採用されました。
インターンシップを通じて強く感じたのは、「現場を知らないまま支援に関わる人が非常に多い」ということでした。職場ではプロジェクトの予算や統計データは把握できても、その先にある人々の声や生活の実態が見えづらく、私はそのギャップに対して、どこか恥ずかしさのような感覚を抱いていました。
進路を選ぶ際、私が大切にしているのは「自分に正直であること」と「心に曇りがないこと」です。違和感を抱えたままでは、納得のいく成果は出せないと思っているからです。当時の私はまさにそのモヤモヤの中にいて、「この状態を抜け出すには動くしかない」と考え、バングラデシュへの渡航を決意しました。
現地に到着してまず感じたのは、「現場はこんなにも違うのか」という衝撃でした。日々、予想を超える現実に直面する中で、「知ったかぶりをしてはいけない」という思いが次第に強くなっていきました。
当初は10日間の滞在予定でしたが、「このまま表面的な理解で帰国し、国際協力を語ることが本当に正しいのか」という疑問が膨らみ、最終的には教育ビザを取得して、バングラデシュの大学院に進学することを決めました。
米州開発銀行時代の山口さん
これまでの学びや経験がつながる瞬間がある。
私は途上国で「仕事の場」をつくりたい。
― バングラデシュの大学院での学びは何でしたか?
バングラデシュでの滞在を通じて、人々が何に悩み、何を求めているのかを知ることができたのは、私にとって非常に大きな学びでした。大学院の同級生の多くは、裕福な家庭の出身でしたが、日々「仕事がない」と口にしていました。親戚中から資金を集めてようやく入学した方もいて、「ここまで来たのに、なぜ職がないのか」と深く悩む姿を目の当たりにしました。
そうした現実を目の当たりにし、「学校をつくるだけでは足りないのだ」と強く感じました。その瞬間、これまで学んできたことや経験してきたことが一本の線でつながったような感覚がありました。そして私は、「教育の場ではなく、働ける場をつくりたい」と心から思うようになったのです。
― その時の決意が、今の取組につながっているのですね。
現在、バングラデシュで約1,000人規模の新工場への移転を進めています。この工場は、利益や投資といった経済的な要素を一旦脇に置いてでも、途上国における「仕事の場」として理想的なモデルケースを目指したいと考えています。
生産能力や福利厚生の充実はもちろんですが、従業員が「第2のハウス」と感じられるような、地域コミュニティにも開かれた安全な職場づくりを重視しています。良い働き口があってこそ、教育の意味が生まれるのだと実感しています。
また、工場には文字が書けない職人もいますが、手を動かせば素敵な製品を生み出す力を持っています。私の工場では、そうした人々も正当に評価されるべきだと考えています。勉強だけが価値ではなく、「手を動かして何かを作り、人に喜ばれる」という、基本的で本質的な営みこそが、もっと尊重される社会であってほしいと強く願っています。
「自分で考えて決める」、「行動したら○」
その一つひとつの行動が経験につながっていく。
― どうして、そんなにも思い切った選択ができたのでしょうか?
学生時代の私は、失うものがほとんどなかったこともあり、挑戦的な選択をためらう理由がありませんでした。そして何より、「自分で考えて決めること」を常に大切にしてきました。10日間のバングラデシュ滞在中に「この国で学ぼう」と決意した時も、本当に寝ずに考え抜いた末の判断でした。自分でも「これはあり得ない選択肢だな」「変わったことをしているな」と感じながらも、納得できるまで向き合いました。
決断に際しては、誰にも相談せず、すべて事後報告というスタイルを貫いてきました。相談すればするほど選択肢は安定的なものになり、結果として本当に良いものは生まれないと考えているからです。そもそも、人に相談するのは自信がないからであり、自信があれば聞く必要はないーそう思っています。
バングラデシュでの生活も、周囲からは「逆境」と言われることがありますが、私自身はそうは捉えていません。問題があれば「自分で考えて決めて解決する」だけ。それを「行動力」と呼ばれることもありますが、私にとっては自然な営みです。帰国という選択肢も浮かびませんでした。なぜなら、それは自分の決断を否定することになるからです。途中で辞めることは、「負けました」と言うのと同じことだと思います。
― 「自分で決めたこと」に基づいて行動するためのアドバイスをください。
私は、どんな行動であっても、たとえ結果が伴わなくても「行動した自分を褒める」ことを習慣にしています。小学生の頃、いじめを受けながらも登校できた日は、自分に「○」をつけていました。「行動したら○、結果は問わない」という当時の姿勢は、今の自分のベースにあります。
初めてバングラデシュを訪れた際も、目に見える成果はありませんでしたが、「現場に足を運んだ」という事実に価値を感じていました。そうした一つひとつの行動や経験があとにつながっていくと信じています。率直に言えば、何も得られない行動なんて、ほとんど存在しないと思っています。
答えは検索ではなく、
自分の経験と、自分で決めた一歩の中にある。
― 自分で考えるときの答えは、どのように見つけていますか?
小学生の頃から書き続けてきた日記は、私にとってかけがえのない存在です。私は感情の振れ幅が大きく、物事に深く共感したり、悩みを引きずってしまう傾向があります。だからこそ、気持ちを外に出す手段として、誰かに話す代わりに日記に向き合ってきました。日々の出来事や言葉、そこから生まれた感情をひたすら書き留めてきた記録は、柔道に関するものだけでも膨大な量になります。
また、私にとって「現場に行った」という事実は、とても重要なことです。どんなに情報が溢れていても、「誰が何と言おうと、私は見た」と言えることにこそ意味があると感じています。今はインターネットで簡単に答えを探すことができますが、私は自分の経験と、日記に残した言葉の中にこそ、本当の答えがあると信じています。
― これから進路を選択する若者にとって大切なことは何ですか?
自分の意思で決定することが何よりも重要だと考えています。私自身、柔道に打ち込むために公立中学校から工業高校への進学を選んだことは、当時の私にとって大きな決断でした。
その際も、「親が言うから」「先輩が言うから」といった他者の意見に頼るのではなく、「自分はこう考える」という軸を持った上で、複数の選択肢を冷静に検討するようにしていました。軸がないまま人に相談したり、インターネットで情報を探したりするのは順序が逆であり、本質的な判断にはつながらないと感じています。
自分で意思決定できるようになるには、小さなことでも自分で決める経験を積み重ねることが大切です。反復練習のように、自分で選び、実行してみる。その繰り返しが、私の人生を形づくってきたように思います。
語学力と精神力を備え、安心して挑戦できる環境が必要。
行動そのものが称賛される社会になってほしい。
― グローバルリーダーに必要な能力・スキルは何だとお考えですか?
世界で活躍するためには、語学力が不可欠だと感じています。6か国で仕事をしてきましたが、現地の言葉で少しでも意思疎通ができると、チームをまとめる上で非常に有利です。それは「この国に本気で関わっている」という姿勢の表れにもなり、交渉にも効果があります。英語だけでは不十分で、現地語を話せることが大きな差を生むと実感しています。通訳を介すとニュアンスが変わってしまうこともあるため、自分の言葉で直接伝える価値は大きいです。
語学習得には実践が最も効果的だと思います。私自身、ベンガル語は日常の交渉や生活の中で自然に身に付けました。今はオンライン学習も充実しており、移動時間などを活用すれば、学生でも学べる環境が整っていると感じます。
また、体力と精神力も重要です。特にリーダーにとって、メンタルの維持は大きな課題です。日本ではメンタルケアの支援がまだ十分とは言えず、心の問題をオープンに話せる環境や、相談できる第三者の存在は、若い世代にとても重要だと思います。
― 若者に対し、どのようなサポートが必要と考えますか?
若者が安心して相談できる場に加え、経済的な支援も欠かせないと感じています。私も、奨学金を借りることで大学に進学することができたし、ビジネスプランコンテストでいただいた資金があったからこそ、店舗を開業することができました。
また、最近は「成功までの道筋が見えないと動けない」と感じる人が多いように思います。しかし私は、まず行動する姿勢こそが社会にとって重要だと考えています。経済的合理性だけを重視するなら、0から1を生み出すより、1を100にする方が効率的です。そのため、優秀な人ほど合理性に縛られ、挑戦を避ける傾向があるように感じます。結果ではなく、行動したことそのものが称賛される社会になってほしいと思っています。
好きなことや違和感を抱いたことが自分の軸をつくる。
どんな経験も成長の糧になるから、とにかく行動してほしい。
― 若者へのメッセージをお願いします。
「自分の軸」や「自分は何者か」という問いは、おそらく一生続くものだと思います。だからこそ、自分が好きだと感じたことや、違和感を覚えた瞬間を、周囲に流されずに書き留めたり、自分に問いかける時間を持つことが大切です。
そして、それをもとに行動できたときは、「よかったね」と自分に声をかけてあげてほしい。その習慣があれば、どんな経験も自分の糧になり、成長につながるはずです。「行動したら〇、結果は問わない」という姿勢で、これから自分の一歩を踏み出してほしいと思います。